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yokoの物語

はじめまして。

このブログを運営しているyokoです。

あなたは、肩こり、頭痛、胃痛など、身体の不調を見て見ぬふりをしていませんか?

気分が落ち込んだりイライラしたり、心の悩みを抱えていませんか?

私も不調を見て見ぬふりをしていました。

就職後、人間関係のストレスなどにより、激しい偏頭痛で一か月の半分は市販の頭痛薬を飲むのが当たり前でした。それに加えて、便秘がち。2~3日出ないのが通常運転でした。

自分の感情を押し殺し、事務的に仕事を淡々とする毎日がしばしばありました。

この当時、とても大変でした。しかし今では、適切な検査や治療によってすっかり回復し、毎日を楽しく過ごしています。とは言っても、そこにはたくさんの紆余曲折や葛藤がありました。同じように悩む人の参考になればと思い、私の体験談をお話しします。

嗅覚が失われる

また朝が来てしまった。身支度をして会社に行かないとならない。今日も打合せがある。市販の薬を飲むが鼻水が出て、咳も出る。そして少し頭がぼーっとする。朝から偏頭痛、慢性の肩こり、首や背筋までがこり固まり、たまにめまいもする。今日も身体が鉛のように重かった。しかし休むわけにはいかない。毎日が憂鬱だった。

いつものように自家用車を運転する。車のなかで考えた。いつまで続くのだろう。あてどのない毎日、空を見上げた。鳥が飛んでいた。なぜか心は鳥と共に飛んでいきたい気持ちになっていた。
しかし、その思いもむなしく、従業員駐車場に到着した。
始業時間が近づく。
いつものように会社の通用門を通り、私の身体は会社に吸い込まれていった。


自分の性格が嫌い。自分のことが好きになれなかった。

なぜいつも悪循環のループにはまってしまうのだろう。
いつもそう。同じ思考が頭の中をかけめぐる。
私の思考の回路はこうだ。

会話をしていて相手の気持ちを察してしまう。そして、会話を妨げまいとついつい自分の気持ちとは違う言葉を口にしてしまう。言ってしまってから内心、あぁ言ってしまったと思う。後悔先に立たず。自分の心と裏腹に、どんどん会話は進んでいく…。鼓動が早くなり、声を出そうとするが喉が詰まる。結局は言えずに終わってしまう。…この繰り返し。

相手の言動や顔の表情などから心を読み過ぎてしまうのかもしれない。
心が疲弊するだけの毎日。

そうした日々を繰り返しているうちに、目の奥が痛み始めていた。しかし、気のせいだろうと放置していた。

更に段々と食事が美味しいと思えなくなってきていた。そして、いつのまにか匂いがわからなくなっていた。

2020年ようやく内科を受診したが・・・

その頃、仕事が忙しく、自分の身体のことを気にも留めていなかった。だが実は風邪をこじらせ鼻が詰まり、更に鼻声になり咳も出ていた。

病院に行く間も惜しみ、市販の薬で済ませていたが、知人から「まだ鼻声だね。随分長いけど、一度病院で診てもらった方が良いんじゃない?」と言われ、ようやく小さな内科の病院に向かうことにした。

「あぁ、喘息かもしれませんね。喘息の薬を出しておきましょう」

内科の先生の言葉に、「え?」と驚いた。ぜんそくって、日常生活が出来なくなる程、激しい咳が出て苦しむ重度の病気で、お年寄りがなることが多いのでは?そんなイメージしかなかった。まさか自分がその喘息だなんて、思いもよらなかった。

処方された薬を飲んでもなかなか症状は改善しなかった。

ベットに入るとすぐ、鼻が詰まり鼻で呼吸ができなくなった。

「ヤバイ、苦しい、まただ」

案の定、咳が出てくしゃみが何回も出る。そのうちねっとりとした鼻水や痰などが出て、慌ててティッシュをつかむ。みるみるうちにダストボックスがティッシュでいっぱいになる。「息が吸えない…」脈が速くなる。枕元に置いていた喘息の吸入薬をあえぐように口にくわえ吸い込んだ。しばらくするとようやく息が吸えるようになる。不安と恐怖が消え去り、ほっとした途端、眠りに落ちた。

今考えると喘息の発作が繰り返し起きていた。

朝方には、ゼイゼイ、ヒューヒューという喘鳴(ぜんめい)が出ていた時もあった。喉のイガイガ感も取れない。咳のしすぎで、胸が痛むこともしばしば。

埃っぽい空気や冷たい空気を吸った時などはてきめんに効く。小さな環境の変化が自分にとっては危険に満ち満ちていた。ちょっとした刺激が発作の引き金になるのだ。当時は深呼吸することさえ怖く、浅い呼吸しかできずにいた。

2022年1月に友人から統合医療の病院をすすめられる

その当時知り合った友人からひとつの病院を紹介された。

その病院は、一般的な病院とまったく違っていた。診療科目が分かれてなく、西洋医学に加え、漢方や民間療法(食事療法、ホメオパシー、自立神経免疫療法)も取り入れた身体全体を総合的に診てくれる統合医療の病院だという。そのような病院があるとは驚いた。

どうやら、あくまでも「患者自身」が主体で、西洋医学と補完・代替療法を組合せた適切な医師の指導の下、生活の質を上げていくらしい。

立ち遅れている日本の医療。ようやくこういった考え方が浸透してきたんだなと思うと嬉しかった。

しかし、躊躇した

あちゃー、病院の場所が…やっぱりそうだよなと第一印象。大分県と福岡県の県境の片田舎、こんな小さな町に、そんな立派な病院がある訳がない。

紹介された病院の場所は、自宅から車で片道約2時間もかかる福岡県だった。遠い…。もともと行動範囲が狭い自分。スーパーの駐車場でも迷ってしまう程の方向音痴が拍車をかけた。高速道路も走ったことがなかった為、ためらい、不安がよぎった。

その友人に話した。

「良い話をありがとう。でも残念だけども、遠くて通いきれないと思う」

すると、友達もその病院に行く予定だという。「一緒に行きましょ。」と言ってくれた。すっと安堵のため息が漏れた。私の心を見透かしてくれているよう。さり気なく不安を取り除いてくれる友人に対して嬉しくなり、心の中で飛び上がった。好意的な思いに感謝した。

病気に向き合うことを決断

2022年2月から統合医療の病院を受診

初めての統合医療の病院の受診日は素晴らしき快晴だった。天気が味方してくれていた。

ナビを見ながら高速に乗り、約片道2時間の距離、自分にとっては大冒険だった。過去の自分では考えられない。何かが変わろうとしていた。まるでプチ旅行。

元々インドア派の私にとって、家族以外の誰かとワイワイしながら、旅なんてほとんどしたことがなかった。車中でのたわいのない友人との会話はキラキラしていた。お互いに頑張ろうと励まし、感謝しあいながらのおしゃべりはとても心地よかった。本当に感謝しかない。

あっという間に病院に着き、玄関を開けると清潔感あふれたとてもすがすがしい雰囲気。一瞬でこの病院が気に入った。受付を済ませて診察室に入ってみると、緊張していた私の気持ちを察してか、主治医はニコニコと優しい表情で話を聞いてくれた。とてもわかりやすい説明で、私の症状に合わせたアドバイスをしてくれた。

例えば、食事。

血糖値の変動が呼吸の乱れにつながることもあるので、3食の食事のとり方、特に食事の順番に気をつけること。野菜や酢の物を先に食べて次にタンパク質、そしてご飯。これ大事よと。

基本的なことを自分はおろそかにしていたことに気づいた。確かに口に入れるものは大事で順番もあるんだと。妙に納得がいった。

更に食事療法だけではなく、自然治癒力を高める為、自分自身でできる色々なセルフケアの方法も教えてもらった。今は匂いがわからなくてもミントなどの強い香りを嗅ぐことで、嗅覚の刺激になるとも教えてもらった。

帰宅後、早速実践するようになった。

これまで自分の身体を大事にしたり、自分自身を褒めるということをしてこなかった。

毎日のセルフケアの実践により、自分で身体の調子を整えることはとても心地良いことに気づいた。自分の身体を初めていとおしく感じた。医療に頼り切るのではなく、自分がどうなりたいか。そしてこうなりたいから自分で自分をケアしていく大切さを体感で感じられ、続けられている自分を褒めた。

統合医療病院を定期的に受診するようになったある日、主治医から、私の住む地域の近くの呼吸器科の病院で良いので、検査をしてくれる病院を探して行くように勧められた。

「快方に向かうためには、食事療法やセルフケアだけに頼ることなく、適切な検査も合わせて行うことが必要。それによって、適切な治療を受けられるようになり、徐々に快方に向かうようになるから」と勇気づけられ、呼吸器科の受診を決断できた。

2022年3月から呼吸器科を受診

統合医療の病院の主治医に言われた通り、さっそく市内の呼吸器科を受診した。その時は軽い気持ちで行ったのだった。一通り検査を受けて、「ようやく不調の原因がこれでハッキリして、快方に向かうかなぁ」と期待していた。しかし、私の気持ちとは裏腹に検査結果は、かなり重度の慢性的な気管支喘息と診断された。

呼吸器科の医師からそのことを言われた時、「え?重症なの私?」と最初は理解できなかったが、検査結果の数値を見せられ実感がわいた。同時に相当ショックを受けた。

しかし、ショックはそれだけではなかった。

更に、鼻などの奥に炎症が起きる副鼻腔炎(ふくびくうえん、別名は蓄膿症)も併発している可能性が高いという医師の言葉。私は絶句してしまった。

そして、呼吸器科の医師は、さらに市内の耳鼻科を更に受診するよう私に勧めた。「副鼻腔炎が良くならないと、気管支喘息も治らない」と言葉を放つ医師の前に座っていた私は「今度は耳鼻科にも行けというのか?」と憤りを感じてしまった。

確かに、嗅覚がなく、味覚も鈍い状態だった自分にとっては食べる楽しみが半減していたのも事実。耳鼻科に行く方が良いのは良くわかっている。

しかし、通院にかかっている月2万円以上の負担…老後を考えるとこれ以上、医療費が増え、家計を圧迫し貯金がどんどん減っていくのではないかという不安がよぎった。

更に、職場では休暇の取りすぎだと既に上司から言われ、目をつけられているのに、これ以上会社を休めば上司から何を言われるかわからない。そんなことを考えているうちにハッと気づいた。

「また人のことを気にしている、こんなに体調が悪くなった原因のひとつは、こうやってくよくよ考え、自分の気持ちよりも人からどう思われるかと気にしすぎていたからではないか。今まさに、自分を変えるチャンスだ」と感じた。

また、統合医療の病院の主治医も言っていた。治したいなら耳鼻科の受診が必要。副鼻腔炎を治せば、気管支喘息も良くなるはずとも言っていた。

自分自身に何度も問いかけた。五感のうち、嗅覚が失われたままで、将来本当にいいのか。。。

キンモクセイ、ラベンダーやユリなどの大好きな草花の香りや、炊きたてのご飯の匂い、お味噌汁の香り…やっぱり嗅ぎたいと心から思った。仕事よりも、お金よりも、自分の身体を最優先に考えたいと思った。健康になりたい!!耳鼻科に行こうと決心した。

2022年10月から耳鼻科を受診

本格的に副鼻腔炎(蓄膿症)の治療をする為、耳鼻科に通い始めた。

精密検査をしてみると、私の鼻の奥の副鼻腔というところには、鼻茸(はなたけ)があることが分かった。鼻茸とは、鼻の粘膜が炎症を起こし、腫れてポリープになりその形がキノコ状である為、鼻茸と呼ばれるそうだ。

そして、鼻茸の組織細胞を採り、検査をしてもらった。

検査結果を聞かされた時、衝撃が走った。重度の好酸球性副鼻腔炎(こうさんきゅうせいふくびくうえん)という難病だという。

主治医の言葉にすぐさま「難病?」ってことは一生治らないのだろうか?と、頭が真っ白になった。主治医の言葉が頭に入らなかった。初めて聞く難しい言葉は一度では理解することができなかった。

主治医は続けて「良い治療方法があります。デュピクセントという注射をする方法です。ただし高額なので、指定難病の申請をして通れば、どれだけ金額がかかっても毎月の医療費は、自己負担の上限金額を払うだけで良いので比較的安く受けることができます」と言った。

申請して通れば医療費が安くなってなんだか効果のある治療が受けられる、いちおうそれだけは理解した。すぐさま申請した。しばらくして通知が届いた。申請が通ったんだ。喜び勇んで耳鼻科に伝えたところ、すぐ注射を手配しておくから、次回受診から早速治療を始めましょうと告げられた。そして2023年1月初めから治療が始まった。

あとからわかったことだが、耳鼻科では本来なら、鼻茸を取る手術を勧めるのがセオリーだそうだ。しかし私の場合、気管支喘息を併発していることを考慮し、手術はリスクがある為、手術以外の選択が賢明。という主治医の判断だった。今考えると素晴らしい判断に感謝しかない。

このデュピクセント、私にとっては、とても効果があった。初回から徐々に効き目が表れ、だんだん消失していた嗅覚が元に戻り始めた。

1回目の注射をしてから1週間経過してバナナの匂いがわかった時の感動!!言葉では言い表せないほど嬉しかった!

でも、何日かすると再び匂いがわからなくなった。まるで嬉しさという風船が急にしぼんでしまったようだった。

でも、1週間後にまた2回目の注射をした。そして1週間経過したらまた匂いが徐々にわかるようになってきた。そして忘れもしない感動は不意に訪れた。ちょうど昼食を食べていた時。いつもの定食のお味噌汁を飲んでいたら、急に香りが漂ってきた。2年ぶりのお味噌の香りに歓喜した。口というか鼻の内側というか、中から香りが立ち上ってくる感覚、最高。

「あぁ、お味噌汁が美味しい、匂いがわかるようになったよ!!」って隣で食事していた同僚に言ったら、「おぉ良かったね~」と言ってくれて本当に嬉しかった。

ある時は、自宅で食事後、お皿を洗っている時!柑橘系の洗剤の匂いが急に鼻に飛び込んできてはっきり匂いが分かり感動もひとしお!!

嗅覚の回復と共に、穏やかに鼻づまりや鼻水などの症状がなくなったのも、本当に驚きと感謝しかない。

2024年5月近況報告の追記:気管支喘息の吸入薬が不要に!定期受診頻度も1ヶ月に一度だったのが3ヶ月に一度に!慢性気管支喘息・好酸球性副鼻腔炎・花粉症の完治へ[詳細はこちら

2023年1月に腰を痛める

嗅覚が戻ってきて希望の光が見えてきたころ、次なる試練が起こった。

「あぁやばい、滑り落ちる。痛い」

不意に主人から声をかけられた為、心が準備できていなかった。主人の早い動きに身体がついていけず、体制を整える間もなく、重みで下へ引っ張られた感じだった。一瞬だった。足元がおろそかになってしまった。

古いマットレスを二階から一階へと下ろすため、主人と運んでいたのだった。私は後方側を持っていたが、家の階段の踊り場で体勢を崩してしまい、身体がぐにゃりと曲がり、上半身は下へ行こうとしてるのに、足の筋力が弱い為、踏ん張りきらず、階段の踊り場でお尻をぺたりと座りこんでしまった。

不自然な体勢に身体が痛んだ。左下腹部と腰が痛くなった。だが、仕事が忙しかった為、一度だけ整形外科を受診し、湿布をもらうだけの処置で済ませてしまった。

今考えると、この一件は、これから始まる事件の序章だったんだと思う。

この時、もっと足元に注意することを肝に銘じておけばと痛感している。

実は、この日は新しいマットレスが搬入される日だった。

古いマットレスは業者の人が引き取る予定だった。私は、業者の人に下ろしてもらうようお願いしたら良いと思っていたのに、主人は気がせいていたのか私と2人で下ろそうとした。その動きに、ためらい焦り引っ張られてしまった自分に憤りを感じていた。

2023年2月に左手首骨折!

そして、2023年2月2日。忘れもしないあの日。友人と神社を参拝した後、下り坂を歩いていたときだった。足が滑り尻もちをついてしまい、無意識に身体を支えようと、とっさに左手を地面についてしまったのだ。足の筋力不足を認識し、もっと注意深く、足元に意識を向けるべきだった。

「ああっ、しまった。とんでもないことをしてしまった」

一瞬で左手首が動かなくなった。見てみると手首がフォーク状に歪んでいた。

大変なことをしてしまったと同時に、心臓の鼓動が早くなり一瞬クラッと貧血のようになり、気持ちが悪くなった。その場にしばらく座り込んでしまった。

幸い友人とともに神社を参拝した後だった為、急遽お願いし病院へ連れて行ってもらうことにした。

病院までの車中では、手首は激しく痛み腫れてきた。全く動かない為、多分骨折していると思われ、とても不安になり動揺した。動かそうとしても動かなかった。無理に動かそうとすれば骨が擦れるような疼きや軋みが感じられる気がしてとても怖かった。もうこのまま手がダメになるのではないかと恐怖におののいた。

しかし、友人は大丈夫、大丈夫だよとずっと声をかけてくれ、今は何も考えずに病院にお任せしようと言ってくれた。しかし、怖い気持ちは払しょくできなかった。もう祈るしかなかった。早く病院に着いて欲しいと心から思った。

もしこの時、自分一人だったらと思うとゾッとする。パニックになりその場に留まるしかなかったと思う。

本当に、友人には感謝しかない。適切に冷静に対処してくれて、本当に命拾いした。

神社参拝後に転んで骨折をしたことは意味があった。

自分にはこんなにもありがたい友人が居たんだと。もっと頼ってよかったんだ。こんなにもありがたい境遇にいるんだと気づかせてくれたのは神様のおかげ。心から感謝した。

左手首の手術へ

幸い怪我をした次の日に入院することができた。

左手首の2か所を骨折していた。大きくズレてしまった骨を元に戻す手術。

転んで手をついた時に、受傷する部位だそう。私もまさにそれだった。

手術は、全身麻酔で行われた。左腕には、更にブロック注射というものを打ったそう。麻酔で意識が無くなっても反射的に手が動くのを防止するらしい。

気管支喘息という持病がある私にとってリスクのある全身麻酔。喘息の発作などの不測の事態に備え、緊急時の搬送先まで手配してくれていた主治医や看護師の方々。万全を期して手術をしていただけた。感謝でいっぱいだった。

手術前後は腫れ上がっていたが、リハビリによって徐々に腫れが取れた。

骨折したのは利き手だった為、手術後の食事からかなり苦労した。箸で食べ物がつかめない。幸い病院の栄養士の方は心得ていて、一口サイズにおかずを切ってくれたりの配慮が涙が出るほどうれしかった。

自分ひとりでは生きていけない。普段は目に見えないけども、たくさんの人たちに支えられて生きているのだと痛感した。

最初の頃は、二度と味わいたくないほどの痛みで災難だと思ったが、今では骨折したことは私にとって大きな学びだったんだと思えるようになった。

幸い手首骨折の手術をして、リハビリを経た後、半年後に抜釘(ばってい:骨折した骨を固定するプレートとボルトを抜く)手術をした。完治を目指しリハビリを行ない、日常生活を取り戻せた。

2023年8月。傷跡は残り、ねじると多少痛みはあるが日常生活は取り戻せている。
2023年9月。抜釘手術後3日目の様子。
傷跡もだいぶ薄くなった。可動域もほぼ元通り。

腰部脊柱管狭窄症を発症

なんだか右足のしびれがある。そう感じたのは2023年11月。気になった為、整形外科を受診。

すると主治医から思いがけない病名を聞かされた。

腰部脊柱管狭窄症。

それはお年寄りがなる病気なのでは?ものすごい不安がおそった。

重いものは持たないように。中腰にならないように。注意された。

そんな状態では仕事に集中できない。なやみに悩んだ。家族にも納得がいくまで話した。

そして決めた。私は退職する!

そうしたら、心の中の澱が消えてなくなりとてもホッとした。

発症から4か月後、ご縁でタオ療法に出会い効果を実感。腰痛がなくなった。

病気や骨折をして得たもの

百聞は一見に如かずと言うが、やっぱり実体験に勝るものはない。

風邪をこじらせ嗅覚を失う。内科の病院で薬を処方されたが、良くならず気管支喘息が悪化。

そして統合医療の病院に行き、セルフケアを開始。

呼吸器科を受診して、重度の慢性的な気管支喘息が発覚。

耳鼻科で難病が判明。

治療によって、ついに嗅覚が回復。

喜びも束の間、今度は転倒して骨折。

手術とリハビリで、なんとか日常生活を取り戻す。

次々と出てくる新しい治療や検査、手術に躊躇したが、「私は嗅覚を取り戻したい。健康になりたい」という強い思いで駆け抜けた。選択は間違ってなかった。本当に良かった。

感謝の気持ち

病気や骨折は、当たり前の自分の生活が当たり前ではないこと。周囲の方に支えられて生きているんだなということを気づかせてくれた。

また友人の優しさなど、自分の周りには元々幸せがあふれていて、自分が気づかなかっただけなのだと感謝の気持ちでいっぱいになった。

嗅覚の復活

嗅覚の回復時は不思議な体感をした。目で見たら、バナナとレモンは違うのに、どれも甘ったるい匂いだったり、粘土のような臭いだったり。何がどの臭いだろうと認識できなくて貴重な体験だった。嗅ぎ分けられないという不思議さ。しかし、徐々に回復するごとに感動が沸き起こった。ごみ箱の悪臭ですらその当時は感動。

「匂いがわかるって最高!!」

2023年8月現在、2週間に一度のデュピクセントを打っていれば、ほとんど治ったと思えるくらいの状態にまで症状は落ち着いた。

香りのある生活に戻り、心も癒され、気持ちも軽やかに生活できるようになった。

大好きな草木や花々の香りを嗅げたことは、ありがたくて天にも昇るような心持ちだった。

料理は嗅覚が大事というのも実感して分かったこと。これは体験しなければわからない感覚。

嗅覚が無い時は、何を食べても土のような食感だったことにいまさら気づいた。食事は味覚だけではなく嗅覚で楽しんでいるのだと痛感した。そしてより深く料理をすることが好きになった。

嗅覚が戻ったことを、統合医療の病院の主治医に伝えたら、自分のことのように喜んでくれた。本当に感謝しかない。

更にご縁があり、アロマ(エッセンシャルオイル)との出会いがあり、香りを楽しみいつくしむことで幸せをより感じ、自分を愛し大事にするという思いが強くなった。

アロマでメンタルケア

2年間嗅覚を失っていた為、香りを感じれることに、人一倍嬉しさを感じている。

友人から紹介されたアロマは、呼吸器系が弱かった私にとって、安心して使えるものとなった。化学物質を一切使わないので、安心して使うことができるからだ。

素晴らしいエッセンシャルオイルの香りは、贅沢な自分の癒しのひとときになる。心の健康の維持向上につながった。

私の体感としては、アロマの成分は心を落ち着かせ自律神経を調整してくれるのではと思っている。

例えば、ラベンダーというアロマは、眠る時に使うととてもリラックスでき、ティーツリーというアロマは、深呼吸すると肺の隅々まで浸透する感じでとても癒される。

脚の筋力アップ

手首を骨折した時にありがたいことに、整形外科のリハビリにて、転倒防止の為の筋力アップのプログラムも組んでくれた。

それは家でもできる為、継続して脚の筋力アップを行っている。おかげさまでそのかいあってか、だいぶ足元がしっかりするようになった。体幹がぶれることなくバランスよく立っていられるのはとても大事。たった一日だけでは筋肉は作られないので毎日継続が大切。

女性は特に50歳を過ぎると、骨が弱くなっていくので運動が大事だそう。

アウトプットの大切さ

ところで、今までの私は、自分自身のことをシェアしようなんて、思ってもみなかった。経験した失敗の数々。隠したくなるのが当然。しかし、転機が訪れた。三栗(みつくり)さんとの出会い。

ある時、ネットを何気なく見ていたら、三栗さんの運営するパーマカルチャー研究所というホームページを見つけた。以前からパーマカルチャー(持続可能な暮らし方)という言葉は知っていたが、植物を育てたり理解していたつもりが、なかなか継続的にするに至らずで中途半端だった。

病気や骨折を経験した私にとって、今までの生活ではなく何か永続的に、心も身体も安心して安全な暮らしを求めるようになっていたところだった為、心にヒットした。パーマカルチャー研究所の無料メルマガ講座を見つけ、何かを感じた私は、即座に登録した以降、学び多き日々に感動し、発信がとても大切であることに気づいた。

発信とは、自分の想いや考えを外部に向けて伝えること。価値を提供すること。

このような病気や骨折を克服してきた私の実体験を情報発信することで、今の仕事や生活に疲れ、夢や希望を持てずにいる方々に対して、勇気やきっかけになるのではと思い立ち、ブログを立ち上げた。

このブログを読んでいる人や、過去の自分のように健康や人生に悩み苦しんでいる人の助けになりたいと切に思うようになったのです。

健康でありたいと思う方々へ

もしかするとあなたも今、体調を崩して、元の健康に戻れず困っていたりしますでしょうか。

特に、慢性的な気管支喘息や、鼻茸を伴う好酸球性副鼻腔炎でお悩みの方は、こういった治療もあるのであきらめないで欲しいです。自分がどうなりたいか、将来の自分の為に真剣に考え前に進んでいってもらいたいです。

それにこれからも健康でありたい、一緒に健康を更に取り戻したいと願う皆さんへ向けて、食の安全や健康などについての情報や経験を、私の配信しているメルマガの中で紹介しています。直感でピンときた方は、メルマガに登録していただければ、情報提供させていただきます。

健康を高めてより幸せになる一歩を踏み出しましょう!!