生い立ち ~幼少期~

人生の生き方

ご訪問いただきありがとうございます。

誰しも一日一日を一生懸命生きています。地球に生まれ、日本に生まれ、ご縁がありここにこうやって生きている。本当に生きているだけで奇跡です。

それぞれみんな素晴らしい人生であり役目や目的があって今があります。人生は良いとき悪いとき色々あります。みんなそんなものです。

そして、試練というものはその人が乗り越えられるから、神様がその人の成長の為に絶妙なタイミングで与えてくれるそうです。

深刻に受け止め過ぎず、何とかなるさ~の気持ちでいきましょうね。今は辛くても前を向いて歩いていけば、きっと上手くいきます。そう自分自身を信じて積極的な気持ちで自分の人生をエンジョイして生きていって欲しいです。

このようなことを書いた理由は、少し私の生い立ちを書いてみようと思ったからです。

少し重い話ですが、母と父が生きていた証を書き残しておきたいと思いました。少しでも供養になると良いなという気持ちで。

誕生から幼少期

私が生まれた時

母は若い時、朗らかに元気で明るい性格で、飲食店などに勤めていたそうです。しかし、その当時は独身でいると親からけむたがられ、早く結婚して家から出るように言われた時代。お見合いでむりやり結婚させられたそうです。

結婚後、数年が経ちようやく私が生まれてきたそうです。

あとで知ったことですが、出産時、破水し、高齢出産(37歳)だったこともあり帝王切開だったそうです。

生まれた時、父と母は泣き喜び、最高の幸せに包まれたそうです。

しかし、その後、父母の間に何があったかは知る由もありませんが、次第に母は病気がちになっていったそうです。更に父は一度も給料を家に入れず、ギャンブルなどに明け暮れていたそうです。

記憶をたどると、父と遊んだことはありません。

顔もうっすらとしか覚えていなくて、後で母から見せてもらった写真を見て、この人がお父さんなんだという記憶しかありません。

当時、ほとんど家に帰ってこない父。

心身ともに弱くて、床に臥せることが多かった母。母は私を溺愛するほど大事に育ててくれました。

池は怖い場所

思い出すのは、私が3歳くらいの頃だったと思います。その頃住んでいたアパートの近くに人口池がありました。池は、柵も無く、ものすごく深く、小さな私にとっては近くの道路を通る時はおそるおそる通っていた感じでした。その池に、大事にしていた人形を落としてしまいました。そして取って欲しいと泣いたことを思い出しました。

更にその池には、近所の子が落ちて亡くなったという事故が起きたのです。おぶくんという子でした。その後、母からその池の近くに絶対行ってはいけないと言われました。当時の私にとって、その時、水は怖いものだと植え付けられたのだと思います。のちに学生になってからもプールや海で、顔に水をつけるのを怖がる子どもになりましたもの。

風邪をひいたら

小さな私は、大きな病気はしませんでしたが、よく風邪は引いてたそうです。3~4歳の頃、発熱し、母に自転車の後ろに乗せられて病院に連れて行ってもらった記憶があります。その時、母は、「お前が熱を出させたんだから病院へ連れて行け」と父から言われて病院に向かったのだそうです。

公園で迷子

4~5歳の頃だったと思いますが、ある時、親戚のおじさんに公園に連れて行ってもらったことがありました。母もそのとき一緒にいました。しかし、なぜか私が不意にいなくなり二人は必死で探したそうです。

私自身は自分が迷子とは全く思わず、困らせるつもりはなく、只々ここに来たかった!!ここで遊びたかった!!という気持ちで無邪気に公園の遊具で楽しんでいたのでした。

小学校で友達ができたのに

小学校に入学し、一人の可愛らしい女の子と仲良くなりました。追いかけっこをしたりしてとても楽しかった思い出があります。しかし、遊んだのはたった一度きりでした。なぜなら転校せざるを得ない状況になったからです。

ある事件が起きました。

それは小学校に入学して10日後くらいの時でした。

その夜は雨が降っていました。母と二人で寝ていると、深夜、雨戸をガタガタ開ける音、そして黒い人影、2人の知らない男の人が家に入ってきたのです。母は震えながら私を抱きかかえていてくれました。只々、男の人たちのすることを見ているしかありませんでした。すると見る間に家財道具を持ち去っていったのです。

あとから知ったことですが、サラ金の取り立て屋だったのです。父はサラ金でお金を借り、何処かへ逃亡したのだそうです。おそらくサラ金業者は少しでも取り返す為、家財の金目のものを全てもっていったのだと思います。当時私が良く中に入って遊んでいた扉のある収納箱や、冷蔵庫などを持っていかれてしまいました。後に残った冷蔵庫の中に入っていたわずかな食材が、トレーの上にポツンと置かれていたのがとても印象に残っています。

怖くてさみしくて冷たい夜でした。しかし母の腕はとても暖かかった。

その後、母は親戚の人に相談して、私を連れて引っ越すことになりました。またサラ金業者がやってくるのを恐れたからです。

こうやって書きだすと、記憶というものは嫌なことや怖いことが強く残るような気がしますね。

続きはまた次回にしますね!!