哲学倶楽部:12月の光の中で。闇を破る「大きな船」と、過去のわたしへ贈る安心の処方箋

人生の生き方

街が慌ただしく華やぐ12月の暮れ、私たちは今年最後となる哲学倶楽部の時間を持ちました。

約一年前、読書倶楽部として始まったこの集いも、皆さまと語り合う中でより深く、より本質的な人生の問いに向き合う場所へと進化し、先月から「哲学倶楽部」として新しく生まれ変わりました。

本日も前回の続きで、歎異抄について講師役の方がスライドも準備くださっていて話してくださいました。

月一回、わずか一時間半のひととき。

けれど、そこには日常の「ママ友とのランチ」では触れられないような、濃密で深い魂の対話があります。

「自分はちっぽけな存在なんだ」と原点に戻り、おごり高ぶる心をそっと手放せる、私にとってもかけがえのない大切な時間です。

生きるとはどういうことか、人生とはどう生きるのが幸せなのか、とても深く考えるきっかけになった大切なお話しだったので、内容を書き留めておきたいと思います。

「比べる幸せ」の限界と、絶対の安心

今回の学びの柱は、私たちが追い求めている「幸せ」の正体についてでした。

美味しいものを食べる、お金を手に入れる。

そんな誰かと比べたり、状況が変われば消えてしまったりする幸せを、仏教では「相対の幸福」と呼びます。

けれど、仏教が教えてくれるのは、どんな波風が立っても決して崩れることのない「絶対の幸福」の世界です。

それは、自分で「信じよう」と力を込めてつくる心ではなく、大きな温もりに包み込まれて「本当だった」と疑いが晴れ渡るような、柔らかな安心感(信心)のこと。

「知っている」という感覚に近いその心は、私たちの乾いた心に、そっと深く浸透していきます。

二つの「難病」と向き合う

特に、私の心に深く響いたのは「難病」の例え話でした。

私たち人間は、死ぬまで消えることのない「煩悩」という枝葉の病を抱えています。

欲や怒りに振り回され、自分を善人だとうぬぼれていても、仏様の鏡(顕微鏡)に映し出せば、その中身はウイルスだらけの手のひらのように、恐ろしい姿をしているのかもしれません。

けれど、本当に解決すべきなのは、その根っこにある「治る難病」なのだと教わりました。

それは、死んだらどうなるか分からないという心の暗がり(無明の闇)です。

未来の行き先がはっきりしない不安は、まるで数日後に手術を控えた時のように、今、この瞬間の楽しみに暗い影を落としてしまうのですね。

暗闇を照らす「太陽」と「大きな船」

人生という荒波の海を、私たちは必死に泳いでいます。

どこへ向かっているのか分からず、丸太にしがみついては波にのまれ、また必死に手を伸ばす。

そんな私たちの前に現れるのが、「どんな人も差別なく、必ず救い取る」という大きな約束の船です。

その船は、真っ暗な不安を太陽のように照らし、私たちの人生を「生まれてきてよかった」という喜びの色に変えてくれます。

高森顕徹著「人生の目的」にでてくる白と黒のネズミが人生の綱をかじり、いつ終わりが来るか分からない無常の世界に生きていても、その大きな船に乗せていただければ、もう怖くはないのですね。

「あぁ、そうだったのか」と、学びの最後に心がスッキリと晴れ渡ったあの感覚。

過去の、不安でたまらなかった私に「大丈夫だよ、道はあるよ」と伝えてあげたいような、そんな温かな充足感に包まれました。

次回の哲学倶楽部は、新しい年の1月20日。

今度は私がバトンを受け取り、この深い智慧を、現代の私たちがどう生かしていけるのか、ひらめいたアイデアを皆さまにシェアしたいと思っています。

皆さま、どうぞ心穏やかな年末をお過ごしくださいね。

ネズミに綱をかじられないよう、今、この瞬間を精一杯、輝かせていきましょう。

(12月23日 哲学倶楽部 主催:ようこ)