亡き母から聞いた話です。
昭和20年8月5日 空襲警報が鳴り、B29が焼夷弾を落とした。 目の前に落ちて来る焼夷弾が怖くて、必死に防空壕へ逃げた。
母の言葉を頼りに調べてみましたところ、前橋市のホームページに体験者の証言記録がありました。
前橋空襲ー体験者の証言の記録ー
終戦からわずか10日前の昭和20年(1945年)8月5日の日曜日。この日は朝から晴天で風も無く、とても蒸し暑い日だったそうです。
この夜に起こる惨事をどれだけの人が想定できたでしょうか・・・・・
21時に警戒警報、21時45分には空襲警報が鳴り響きました。その45分後の22時半、前橋市上空東側から爆音を轟かせながら、92機のアメリカ軍機B29が襲来。1時間半以上攻撃で、約724トンの爆弾が投下されました。
当時は木造家屋が大部分で市内は瞬く間に炎につつまれ、市街地の80%が焦土と化しました。
前橋の先人たちが築いた街並みは破壊され、535人の市民の命が一晩にして奪われました。
この惨事を風化させないために、前橋空襲を実際に体験した方による証言を記録しました。空襲の炎の中で~前橋空襲体験者の証言~
前橋市HPより一部抜粋
戦時中は食べるものが何もなくて、母はドドメを食べるのが唯一の楽しみだったそうです。ドドメは桑の実のことです。今なら考えられないことですが、何も物が無い時代、本当に怖くて辛い経験をしてきたんだ、そしてこんなに大規模な被害の空襲だったんだと改めて思いました。
平和を誓います。
この日が来ると思い出します。今年もセミが鳴いていますよ。お母さん。