片づけ中に見つけた日記から自己理解へ:過去の感情と今の思考のつながり

人生の生き方

最近、部屋の片づけをしていたら、昔書いた日記が出てきました。

開くまでは、そんなことを書いたことすら忘れていましたが、ページをめくるうちに、過去の自分の状態が鮮やかに蘇りました。

そのノートには、当時の私が感じていた悲しみや喜び、苦悩や悩みが、時にはつたない言葉で、時には感情をあらわにした言葉が書かれていました。

一行一行を読み進めていくうちに、忘れていた当時の感情が今の私の中に流れ込んでくるようでした。

そして驚いたことに、その時感じていたことは、今の私の思考や行動の根底に深く影響していることに気づきました。

ノートに書かれた一つ一つの事柄が、現在の自分の価値観や資質にどのようにつながっているのか、まるでパズルのピースがはまるように理解できたのです。

日記の内容

例えば、ある日記のページには、九州に引っ越して約一か月後の感情が書かれていました。

2004年9月11日


何かすごく大切なものを引っ越し以来、どこかへ忘れてきてしまったような感覚がある。

なんだかこの頃は、物忘れがひどいし集中できてないし、ただ一日を過ごしているだけという毎日だ。これではだめだ!!

しっかり周りをよく見て、今、自分は何をしなければいけないのか、考えられる余裕をもたなくちゃ。

地元にいた頃は、いろいろなことにチャレンジしよう。前向きに明るくいこうと思っていたのに、今はなんだ。

まるでふさぎ込んでしまって、凹んでしまっている感じ。

8月13日に九州に引っ越してからというもの、毎日が慣れない。ただ精一杯送ってきたような気がするけど、何か時間に追われて、目の前のやることをこなしていただけで、毎日が楽しくなかった。

疲れてばっかで気持ちが消耗していくだけの感じ。充実感がまるで無い。これでいいのか。

これではいけない。慣れが解決してくれると思っていたがそうではないと思う。

自分の意識で、しっかりと日々を過ごさねば流されるだけだと思う。

悔いのない人生を送る為にも、母を地元に置いてきてしまったことも。

ここでくよくよしたり、暗くふさぎ込んでいたらだめだ。

明るく朗らかに行かなくては。

子供たちも頑張っているんだし、しっかり目で前を見据えなければ!!

私がしっかりしなければだめだ!!もっとしっかりしろー!!何のために九州に来たのか、決して忘れてはいけない。

地元にいた時と同じように、充実した毎日にしていこう!

反省、自己、謙虚、欲張らない、素朴に、素直に、利害を考えず、おおらかに、いさぎよく、穏やかに、簡素に、明るく、楽しく、てきぱきと、悔いのないように、自分らしく、マイペースに、あせらず、前向きに、自分を信じて!!

この当時、家族4人で九州に引っ越してきたばかり。私は30代半ば、子どもが小5と中1。新しい家での生活、不慣れな周囲の道のり、新たな仲間との仕事をこなし、必死で頑張っている自分がいた。

2007年1月21日

何をしても何か満たされない。空虚な感覚がこの2年半。やっぱり母を地元に置いてきてしまったこと。このことだ。なにやっているんだ私。

仕事と日常生活の繰り返し。

忘れっぽくなったり、やる気が起こらない。

後の残りの人生どうやって生きていくのかと、考え直す2年だったと思っていたけど、もうどうでもよくなっている。

生きる支えみたいなものを見失っていた空白の2年だったんだと思う。

つまらない、満たされない、喜怒哀楽がない。

こんなんじゃいけないんだ。母だって頑張っているのに。

私がこんなになっていたらいけない。心では割り切っていたつもりなのに。心に引っかかって毎日がおろそかになっていた。

これではだめだ。しっかりと生きなきゃ。無意識に何か支えを見つけていた。仏教、宮沢賢治・・・。

そしてただ何となく仕事とをして、やる気ないことを他人のせいにし、一生懸命になっていなかった。

ただ夢中になれるものとして、編み物に没頭していた。張り合いがなく、何かを求めてあがいていた。母がいる安心感の空間。

何を迷っているんだ。ぼーっとしているんだ。毎日やるべきことを慌てずに足をしっかり地につけて生活しなくちゃ。

抑圧。心を押し殺していた。閉ざしていた心。

原因がわかった。避けていたんだ。逃げていたんだ。

心の整理。解決の道を探さないと。

ここには何もない。空虚があるだけ。何もないのだからこれ以上失うものは無い。

無価値。今、目の前に見えているものは虚。

なおざりにしてしまった気持ち。心の整理もせずに。

何かで表現したい。書か、編み物か、陶芸、芸術への道。詩、小説?

子どもに、主人に、愛を向けよう。生きがいを見つけよう / 目をそらすな、直視し人生を生きろ。

無駄にしない生き方。子どもの手本になる生き方。悔いのない生き方。

感情の高ぶり。生きている証。

美しいものを美しいと思える心。

消化不良、不完全燃焼、何もかも中途半端はだめ。それではいけない。

いつかは1人になる。死ぬときはだれでも1人で死ぬ。生き物すべてそう。

十年後の夢は何?

経験、肯定、冒険、ポジティブ、自分に向き合う時間、生きる目的、冷静、良い種を蒔いておく、学べることは何か、仕事以外の天職(ライフワーク)をもつ、成長、物質は所詮、借り物。

このころ興味があったのは、法隆寺。こんな記載がありました。

2006年11月5日

来週、法隆寺に行くことを決めた。救世観音を見に行くためだ。いつか本物を観たいと思っていた救世観音。嬉しい。落ち着いてゆっくり見よう。

2006年11月16日

11/11~12に法隆寺行ってきた。本当に行って良かった。

風を感じた。満たされた。

ボランティアの案内の人から説明を受けながら観ることができた。

夢殿、美しい。木材と石と瓦、太陽の光。黒い影の部分とのコントラストが見事。

自分は感情を出していた時期があったことに気づいた

日記の中の言葉を読んで気づいたのは、

・感情を繊細に言葉にしている。

・思考と感情を区別して、無意識に言語化できている。

・昔のほうが、感情豊かに言語化できていた。

・○○しなければ、○○ねばならないと自分を律して鼓舞していた。

・日記に感情を吐き出していた。

だから苦しいながらも、やれてこれたんだと感じました。

当時は、走り書きのように、そのままの感情を吐露したのかもしれませんが、その一部は今でも私の心の中で生き続けていて、その後の人生の影響を与えていました。

私が今、自己成長や学びに対して強い興味を持ち続けているのは、その時の感情を形にしようとしていた、その軌跡だったのかもしれません。

写真で見るこのころの興味・関心

興味・関心のある新聞や雑誌の切り抜きを、ノートに貼り付けていました。

他にもフジコ・ヘミング、宮沢賢治、環境や平和問題などの記事の切り抜き多数。

仏教の教え
ガムランの演奏
小鹿田焼き

このころの興味や関心が、今に通ずるところは多々あります。

日記を読み返して感じたのは、過去の自分が持っていた感情や考え方が、決して無駄なものではなかったということです。

むしろ、それらが今の自分を形成する大切な要素であり、自己理解を深めるための重要な手がかりだと気づかされました。

過去の自分と対話することで、現在の自分をより深く理解し、未来への道筋を見つけることができるのです。

現在の私

・仕事の自給講座1年間を受講したことで、自分のライフワークを見つけ出した。

・ストレングスファインダーの解説を通じてカウンセリングを生業にしたい。

・感情のブロックを外して、自分らしく生きたい。

これからも悔いなくやりたいことにチャレンジして、形にしていきたいと思います。

私のトップ10の強み

以下、ストレングスファインダー結果

1収集心
2学習欲
3内省
4共感性
5未来志向
6ポジティブ
7責任感
8活発性
9適応性
10最上志向

まさに、過去の自分に素地があったことに気づきます。

まとめ

もし、皆さんも昔の日記やメモ、手紙などが手元にあるなら、ぜひ読み返すと自分を発見する糸口になると思います。

その中には、今の自分に必要なヒントやインスピレーションが隠れているかもしれません。

そして、過去の自分との対話を通じて、現在の自分をさらに豊かにし、未来を切り拓く力を見つけ出してみましょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。

私は難病や手首骨折、過度なストレスを経験し、更に腰の病気になりましたが、その結果、感謝する生活、健康を最優先にした生活にシフトしたことによって回復し復活を遂げました。

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