ありがとう

人生の生き方

おとといの夕方、小さな龍の子のような雲を見ました。何かの前触れのようでした。

そして昨日、96歳の叔母が亡くなったという知らせを受けました。

最期は苦しまず眠るように息を引き取ったそうです。穏やかな死だったことがせめてもの救いです。

病気がちだった母が半年間、入院した時、学生だった私を引き取って面倒をみてくれたり、仕事の都合で私たち家族が大分県に引っ越しすることになった時、やむをえず地元で一人暮らしになった母を気にかけ、何かと心配してくれていた叔母ちゃん。

手先が器用で、料理が上手で、入れ歯も虫歯もなくいつもニコニコしていた叔母ちゃん。

叔母ちゃんは、昨年末まで、一人暮らしをしていたのですが、昨年末から有料老人ホームに入ったということを聞いていました。

8月19日の従姉妹からの電話では、4日くらいから食事を摂らなくなり眠ったようになっていて、声をかけても反応がないという連絡が入っていたのです。それを聞いた私は、とても心配をしていました。

幸い今入っているコミュニティの方々から、ありがたいことにアドバイスや励ましの言葉をいただけて、心穏やかになり、叔母さんの無事を祈る日々を過ごせていました。本当に優しい方々ばかりでとてもありがたく感謝でいっぱいです。

叔母ちゃんの妹にあたる叔母さんに連絡をしたところ、「大分から来るのは遠くて大変だから無理に来なくても良いよ」と言ってくれていました。

今日は狐の嫁入りのような雨が降り、とても不思議な天気でした。

もしかして、叔母ちゃんは、亡き母や兄弟、みんなと天国で会っているかな?

最後の最後まで精一杯生きてくれてありがとうございました。長い間頑張ってくれました。

たくさん、たくさんの温かい思い出をくださったことに心から感謝します。


ふと、叔母さんとの思い出を思い返していた私は、ちょうど読んでいた「モリー先生との火曜日」の一説を思い出しました。

「モリー先生との火曜日」というのは、難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されたモリー・シュワルツ教授が自らの死を前にして、かつての教え子であるミッチに贈った「最後の授業」を記録したもので、1997年にアメリカで出版されベスト・セラーとなったノンフィクション小説です。

 モリー訪問が回を重ねるにつれ、ぼくは死に関する本を読むようになっていた。文化によってこの最後の旅に対する見方がずいぶん違う。たとえば北米極北地帯のある部族は、生きとし生けるものはすべて、小さな、自分の体と同じ形をした霊魂を体内に持っていると信じている。シカのなかには小型のシカが、人間の中には小型の人間がいるというふうに。

 外側の大きい方が死んでも、中の小さいのは生きつづける。そして近くで生まれそうになっているものの中に入ることもあれば、とりあえず空の上の仮休憩所へ行くこともある。これは大母神の腹の中にあって、霊(小型版の肉体)は月がまた地上に送り戻してくれるまでそこで待っている。

 ときどき月は、新しい霊の世話で忙しく、空から姿を消す。月のない晩があるのはそのためだという。しかし結局はまたもどってくる。そして万物ももどってくる。

 そう彼らは信じている。

  「モリー先生との火曜日」より一部抜粋

叔母ちゃんも、きっと生まれ変わるかもしれないと信じています。

でも今は、しばらくゆっくりお空の上で休んでくださいね。

明朝出発して、お葬式に参列し最後のお別れをしてきます。

ありがとうございます。

人が亡くなるといった場面に直面すると、本当に健康が大事だと痛感しますね。

私は難病や手首骨折、過度なストレスを経験しました。その結果、感謝する生活、健康を最優先にした生活にシフトしました。

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